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東京家庭裁判所 昭和41年(家イ)2391号 審判 1967年9月04日

申立人 多田札三(仮名)

相手方 多田妙子(仮名)

主文

一、申立人と相手方とを離婚する。

二、当事者間の長男正信の親権者を相手方と定め、同人において監護教育する。

三、申立人は相手方に対し、包括的離婚給付としての財産分与として、金三〇〇万円を支払うこととし、

1、うち金一〇〇万円については、これを、本審判確定後一〇日以内に、

2、うち金二〇〇万円については、昭和四三年以降完済に至るまで、金五〇万円宛を、毎年三月末日限り、

いずれも、当庁に寄託して支払わなければならない。

理由

(申立人の要旨)

申立人は、主文第一項同旨及び当事者間の長男正信の親権者を申立人と定める旨の調停を求め、その理由の要旨は、

「申立人と相手方とは昭和三八年一一月一六日結婚し、昭和三九年一〇月七日正式の婚姻届をしたものであるところ、結婚当初から、性格の不一致により、夫婦間の紛議が絶えず、しばしば離婚騒動が持ち上がつた。しかるに、相手方は、協議離婚に応ぜず、昭和四一年二月五日長男正信を連れて実家に帰つた儘、別居生活の状態が継続している。かくして、申立人・相手方間の結婚生活は回復の余地なきまでの破綻状態にあるから、調停離婚を求めるべく、本申立に及んだ。」

というにある。

(認定事実および本件調停の経過)

本件記録添付の戸籍謄本及び本件調停期日における当事者双方の各供述内容並びに調停手続の経緯を総合すると、次のような事実を認定、窺知することができる。

(一)、申立人(昭和五年一月一一日生・歯科医)と相手方(昭和一〇年一〇月一五日生)とは、昭和三八年一一月一六日いわゆる見合結婚をなし、事実上の夫婦となり、昭和三九年一〇月七日婚姻届を了したもので、相手方は、昭和三九年八月二四日長男正信を儲けた。

(二)、申立人と相手方とは、事実上の婚姻関係にはいつてから、主に性格面で相互の協調を欠き、度々悶着を起こし、日を追うて、心理的な葛藤が深刻の度を加え、そのことが原因で、相手方が実家に帰ることも稀ではなかつた。

(三)、かくて、当事者間の夫婦生活の不和は、一向に好転の気配を見せず、遂に、昭和四一年二月五日相手方が長男を伴い実家へ赴いて以来完全な別居生活にはいり、離婚話にまで発展した。しかし相手方側が協議離婚に難色を示したため、申立人は、昭和四一年五月二一日本件申立に及んだ。

(四)、そこで、当裁判所調停委員会は、本申立に基づき、昭和四一年六月二一日以降調停を試みたところ、離婚及び長男の親権者を母である相手方に定める二点に関しては、比較的早期に、当事者の互譲を得ることができた。しかしながら、財産的な離婚条件をめぐる話合いについては、双方の意向の隔りが余りにも大きく、申立人が相手方に対し総額金二八〇万円乃至三〇〇万円(その法律的性格はさておき)を支払うという基本線に達するまで頓に難航を重ね、更に、財産分与及び養育費という形態で長期の分割払を要望する申立人側と、財産分与一本化にしぼつて出来得る限り短期間の分割払を求める相手方側の主張とが峻烈に対立し、昭和四二年八月一六日第一四回目の調停期日を迎えても、なお、調停成立の見込みがない。

(当裁判所の判断)

よつて、当裁判所は、調停委員の意見を聴き、一切の事情を観て、当事者双方のため衡平に考慮した結果、家事審判法第二四条にしたがい、主文掲記のごとく調停に代わる審判をなすのが相当であるとの判断に到達した。

すなわち、

(a)、先ず、申立人と相手方とは、既に、相互の信頼と愛情を失い、その婚姻生活は、円満な復元が絶望というべき破綻状態に陥り、婚姻を継続し難い重大な事由が存すると断ずるほかない。

(b)、次に、長男正信の親権者については、現に相手方の膝下で引取り保育されていることのほか、同児の年齢、当事者の意向等にかんがみ、相手方と定めるのを至当と認める。

(c)、最後に、主文第三項の財産上の給付の点であるが、本件では、離婚後における相手方の自主的な生活設計の可能な限り速やかな確立と実行に資する側面からの考量が重要なウエイトを占め、そのことが、ひいては、長男正信の将来の福祉につながるゆえんでもあると考

える。

(むすび)

そこで、主文のとおり審判する。

(家事審判官 角谷三千夫)

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